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テンポラリー通信

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2011年 10月 25日

伽井丹弥展再訪ー秋冷秋水(9)

休廊日の昨日、再びM邸画廊伽井丹弥展に行く。
先日見落とした外庭の作品を見たかったのだ。
陽光の零れる沢沿いの森の樹に、白い裸体の等身大の人形が
腰を掛けていた。
透明なピアノ線で固定しているらしく、時折り落ちる大きな枯葉が見えない
線上を滑るように走っていく。
室内の床から横長に切り取られた大きな長いガラス窓からは、雲間から
零れる光とそよぐ風の木々が見え、その内の一本の樹の太い枝に
白い人形が妖精のように腰掛けているのだ。
そしてこの外に開かれた横長の大きな窓の反対に、室内を挟んで
奥の和屋が口を開いている。
和室には黒い薄着を纏ったもう一体の人形が、艶然と膝を曲げて
坐っている。
この広く開けた室内を挟んだ内と外の艶の明暗の対極が、
今回の展示の基層低音(トニカ)を奏している。
見る者はこのふたつの明暗の界(さかい)に、位置する場にいる。
これが<あはい>という今回の展示主題の位相でもある。
この位置を見ずしてこの展覧会の鑑賞はない。
また和室の着衣の人形の傍には縦長の鏡が置かれていて、入口から
見る者には鏡面の人形と実際の人形二つが同時に見える位置にある。
一方の大きな窓越しに見る庭の樹に坐る人形もまた、一枚のガラス越しに
見る位置にある。
従ってこのふたつの存在は、鏡とガラスという透明な虚を通して意識される
存在でもあるのだ。
ここにも、<あはい>の位置設定が為されていると思える。
さらに踏み込んでいえば、この位置は接客の座談のソファの近辺である。
サロン的な造りのM画廊の一番居心地の良い場所に、この両極の艶の磁場
が仕掛けられている。
そこで、この豪邸風アートサロン空間は一瞬にして藝術の保つ魔と神の領域
が渦巻く修羅の磁場へと変わる。
<あはい>とは、<吾(あ)は異>でもあり、境界(さかい)を意味するという。
正にその境界点が、この空間で一番寛ぐ位置に存するのだ。

このふたつの魅力的な艶めく人形の間の位置に坐って、私はふっと蛍という
アイヌ語を思い出していた。
十勝地方では蛍の事を、tomtom kikir(トムトム キキル:光る光る虫)と
呼び、胆振地方では蛍の事を、ninninkep(ニンニン ケプ:消え消えする虫)
と呼ぶという。(*知里真志保「アイヌ語入門」)
トムトム、ニンニン・光る光る、消える、消える。
伽井丹弥人形展の主題<あはい>とは、この消え消えと光る光るの間、
蛍のような光の時間が主題でもあったかと思う。
展示には過去の作品も含めた多くの作品が出品されているが、今回の眼目は
広い室内のさらなる奥の小部屋と、ゆったりとした室内のさらなる外界に坐る
2体の作品の、対峙の磁場上にこそ収斂されるものだ。
呼気と吸気の間に生命が宿るように、明と暗(トムトムとニンニンニン)の間に、
蛍のようなあはい、艶めく命が点滅している。

危うくこの位相を見ずしてこの展覧会を通り過ぎるところだった。
個展という小宇宙は、見る方のアクセス回路もまた験されるものだ。


*森本めぐみ滞在制作展「ものもつ子のこと」-10月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-10-25 13:25 | Comments(0)


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