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テンポラリー通信

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2011年 09月 02日

雨風強くードットの時代(11)

昼から一気に風雨が強くなる。
まだ本体の台風は遠くだが、すでにその前触れが届いている。
斜めに降る雨、叩きつける雨音。
人も車も揺れる風景だ。
この風・雨風景を見ていると、ふっとジョナス・メカスの映像を思い出す。
竹本英樹の会場に居ると、一層の事である。
故国リトアニアからアメリカへと亡命したメカスが、言葉の通じないアメリカで
日々の生活を日記のように撮り始める
その16ミリカメラの映像は揺れに揺れて、当時の観客からは次のような
質問が飛んだという。

 Why your imge is shaky?(お前の映像は何故そんなに揺れるのだ?)

メカスはそれに次のように応えたという。
 
 Because My life is shaky (私の人生が揺れているからです)

この挿話は詩人の吉増剛造さんから聞いた話である。
亡命後27年ぶりに故国リトアニアを再訪した映像「リトアニアへの旅の記憶」
は、アメリカ・インデイペンデント映画の古典として、今も新鮮な映像である。
この揺れる16ミリの画面の奥には、彼自身のナチスから追われ故郷を後にし
た揺れる人生がある。
この難民・亡命の心象は、そのまま映像の揺れとなって、叙事詩のように
映像メタファを創り出している。
詩人の言葉の陰喩のように、映像が喩となって揺れる。
故郷の27年ぶりの再訪というドキュメントが、心の揺れとなって映像に
メタファを生む。
Because my life is shaky とは正にその事実を指すのであろう。

現在の日本では、故国喪失という難民状況は直接は無い。
しかし心の難民は、ケイタイ片手に都会を漂流している現状がある。
国家の位相ではなく、個の位相で故郷喪失は生まれている。
特に今回の大震災・大津波・原発事故による状況は、そうした故郷喪失を
地域的に日常現実として現出させてきた。
そして外国に向かう近代帝国主義の様相ではなく、内なる都市の地方への
帝国主義として、東京電力の福島原発があり、地方への都市的差別構造
として内なる植民地構造も露呈してきたのである。
メカスの映像が現在少しも古く感じられないのは、そうした潜在的難民構造
が、現代の都市生活者に精神的に根付いているからとも思える。

竹本英樹の揺れる画像が、その事と何処まで関わっているかは分からない。
ただ言えることは、この画素ともいえる「意識の素粒子」展は、そうした揺れる
イメージをもう一度ランダムに晒す事で、自らの撮影する根拠を真摯に探求し
見詰め直す機会となっている事だけは確かなのだ。
敢えてフイルム作品ではなく、カラーコピーに印刷し壁を埋め尽くす行為に
その<晒す>意志を感じるのである。
きっと竹本自身もまた自らに問うて応えようとしているのかもしれない。

 Becouse my life is shaky?

*竹本英樹写真展「意識の素粒子」-9月8日(木)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 

by kakiten | 2011-09-02 13:24 | Comments(0)


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