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2011年 06月 21日

孤高の渡航者ー夏日幻想(11)

軽い痛みが左足の甲にあって、その夜脹れてきた。
何時打ったのか記憶にはない。
多分土曜日の夜、酔って帰って寝たベッドの中。
大きく寝返りを打って角にぶっつけたと思う。
月曜日は一日湿布をして休む。
段々脹れてきて、歩くのが大変。
火曜日の今日は大分落ち着いてきたので、足の甲に負担の軽い
自転車に乗る。
降りる時、着地に気をつける。
体重が片足に負荷されるからだ。
階段は四ッ足で登る。下りの方がきつい。

昨日道新朝刊に山田航さんのエッセイが載っていた。
「孤高の渡航者 山田秀三」である。
11歳の時札幌郊外の実家の最寄駅名「釜谷臼」が、新しく造成されたニュータウ
ンの名称に変わったショックから、その後出会ったアイヌ語地名学者山田秀三の
本との出会いが語られている。

 そんな鬱屈した時代に出会った本が山田秀三「アイヌ語地名を歩く」だった。
 ・・・地名の由来となった地形そのものを求めて歩く!
 ・・・ガリバーよりもトム・ソーヤよりも、山田秀三こそが少年時代の私の胸を
 最も高鳴らせてくれた冒険家だった。

 (山田秀三は・・・)農土ではなくアイヌ語地名を掘り起こし、北海道の歴史と
 精神性を「開拓」した。
 屯田兵の精神を純粋に受け継げるのはいつだって、駅名を簡単に捨ててしま
 えるような子孫たちではなく、山田秀三のような孤高の渡航者だ。

釜谷臼(カマ・ソ・ウシ・イー平たい・岩・ある・処)という消えたアイヌ語地名は、
こうして山田秀三の本と出会う事で、意味を保ち甦った。
11歳まで過ごした丘珠の街には、まだ入植者の文化が残っていたという。
しかしこのニュータウンは

 住民はみなただ都心部に通勤するためだけに家を建て暮らしていた。
 いうならばそこは、集合住宅を地上に平面化した空間だった。

そうした環境の中で、<釜谷臼>という駅名はきっと不思議謎の響きをもって
いたのだろう。その地名が何の変哲もない地名にある日突如変わる。
その喪失感を、山田秀三の本が救ってくれたのだ。
私も同じ経験をもつ。
デジタルな直線の街路の下に眠っていた固有の地形、その歴史。
その手引きの書となったのは、やはり山田秀三の本である。
その結果、なんと魅力的なさっぽろが開かれた事だろう。
今もその歩行で確認した地形がフィールドワークとなって、その後の様々な仕事
最近では「緑の運河・エルムゾーンを守る会」の運動の母胎ともなっている。
私より若い世代が、大規模地下通路の電気的装置ばかりに眼が行くので
はなく、こうした地道で固有の札幌を見る視座を保っている事に勇気を貰う。
都心部の郊外に広がる、のっぺりした集合住宅空間。
都市部に去勢されたようなその空間を、きちっと見詰め返し事。
<観光都市としての側面にデジタル文化やクリエイテイブとの化学反応が
起これば、世界を動かすほどの現象・・ワクワク>(創造都市さっぽろの未来)
と、試験官ベイビーみたいなクリエイテイブ、インタラクテイブ文化の都心と
対峙するように、郊外の普通の土地の歴史と精神が見詰められている。
新たな機械的電気的インフラの増設が進む都心。
そのバーチアルリアリテイと対極にある土の記憶は、消されてゆくばかり
である。
どちらが真に歴史を作り、伝統を受け継いでゆくのか。
どちらが真に文化の土壌となり得るのか。

孤高の渡航者とは今も、なにも山田秀三さんだけの位相ではない。

*「これから降りていこう/斎藤周」展ー6月26日(日)まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-06-21 15:45 | Comments(0)


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