夜半から朝にかけて雪が降ったのだろうか、昨日の雪泥の道は白。
白い季節が戻って来た。
冬の国。
季節にもランドがある。
先日吹雪のエルムゾーンを歩いて立ち寄った北大綜合博物館。
そのブックコーナーにムラギシの本が数冊積まれていた事を思い出した。
エルムランド・ムラギシランド。
人生もひとつのランドなのかも知れない。
そう22歳で死んだムラギシが教えてくれたような気がする。
風土の結晶した風景。
それが自然の囲繞した故里というなら、人間には生き方という
国(ランド)がある。
時代と関わり人と関わり、見えない国を創る。
村岸宏昭という一青年の短い生涯を、みんなで結集して纏めた一冊の本。
それもひとつの宇宙、生きた交流の世界、国(ランド)なのだ。
春楡の大木の残る森を歩きながら、そこに建つパイプオルガンのような石造の
建物の中で、ムラギシの本と出会ったのは偶然ではなかったのかも知れない。
人間と自然のふたつの国がある事を、黙って教示してくれたのかも知れない。
そして本来ふたつの国は別ちがたく関わってある事にも気付くのだ。
Sくんとムラギシと3人で発寒川を辿り歩いた事があった。
石狩まで辿り、そこである喫茶店に入った。
後に3人の中学生が来たみたい、とそこに勤めていたMさんが言っていた。
そうだ、あれはふたつのランドが交じり合った掛け替えのない時間だった。
自然の国と我々の時間の国を、ランドとして辿った小さな旅だった。
その後もう一度円山川源流にある不動の滝を歩いた事がある。
そこに朽ちていた白樺を素材に展覧会をして、2週間後ムラギシは
旅先の四国高知の鏡川で死ぬ。
その短い22年の人生こそが凝縮したランド(国)である。
死者を思う時、いつもそこには優れて結晶する国がある。
時代と関わり、人と関わり、泉の湧くような森がある。
父には父の、祖父には祖父の国がある。
その国(ランド)とは、その人固有の国であり、その固有性において
国(ランド)といえるのだ。
そしてそこを共有した時間だけが、残された者には記憶される。
もう戻る事は出来ない。
人は国境を知ることで、自らの国(ランド)を創る。
関わりながら、固有である事が宿命である。
この人間の国に比して自然の国は、広く大きい。
季節も風景も結晶して森羅万象を抱いて在る。
白い世界が戻って、冬の国がそんな事を教えてくれる。
*佐々木恒雄展ー2月22日(火)-3月6日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011ー737-5503