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テンポラリー通信

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2011年 01月 28日

一枚の写真ー螺旋する時間(5)

Mさんが来てある雑誌に載っている写真を見せてくれる。
見開きいっぱいに北大中央ローンが広がり、中央を横切る川が流れ、
右側近景にはひとりの外国人と背後に大きな樹が重なっている。
ルクレジオと冬の北大構内だ。
ハルニレと思える大樹と人間の翳が、白い風景と川の曲線に映えて美しい。
この風景だなあ、と思う。
異国人の風貌と北大構内の建物、そして巨樹。
黒く曲線を描くサクシコトニ川と白い岸のゆるやかな対比。
エルムゾーンの象徴的な風景だ。
サッポロという街のこれが原風景ではないだろうか。
近代が保ったあるロマン。
その真っ白なキャンパスに、先人の夢のかけらが散りばめられ、
一枚の写真にそれが溢れている。
こうした風景が今もこの街には眠っている。
ハイビジヨンのデジタル画面のような、鮮明だが翳のない書き割りの都市
風景の奥に、ひっそりと降る雪を湛えて今も深々と森と川が潜んでいる。
そこに人が翳のように立つと、世界はなんと深い奥行きに満ちてくることだろう。
冬の白い影の世界だからこそ見える骨格のような世界もある。
樹木も川も建物も丘もその美しい骨格を露わにする。
強靭な曲線、無駄を省いた最小限・最大限の命の形。
冬は命の根を顕在化する季節だ。
命の必然に裏打ちされた曲線ほど、美しい線はない。
効率化を至上命題とする都市の線は、命の有機性が喪失している。
分別・切り捨ての直線構造には、地相の保つ結晶が消えている。

Mさんがこの一枚の写真に惹かれたのには理由がある。
左の奥に映る4階建ての白い宿舎の2階はかっての住居だったからである。
過ぎ去った長い時間が、この一枚の風景に鉱石のように結晶している。
夏も秋も冬も朝も昼も夕暮れもすべての過ぎ去った時間が、
この一枚の写真から喚起される。
何故ならこの写真には、この場の地相の保つ析出された風景が
結晶するようにしてあるからである。
その結晶する地相に引寄せられるように、このエルムゾーンの風景は
私にも波及してくるのだ。
冬の午後の曇り空。その白い翳に満ちた何百秒の一瞬。
そのたったの一枚の一瞬に、風土が保つ膨大な時間が結晶している。

真の風景とは何か・・・と、今改めて深々と思うのだ。
私たちは、私たち個々の風景を奪還しなければならぬ。
街の奥に深々と眠るその原風景を。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-01-28 14:13 | Comments(0)


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