Mさんが来てある雑誌に載っている写真を見せてくれる。
見開きいっぱいに北大中央ローンが広がり、中央を横切る川が流れ、
右側近景にはひとりの外国人と背後に大きな樹が重なっている。
ルクレジオと冬の北大構内だ。
ハルニレと思える大樹と人間の翳が、白い風景と川の曲線に映えて美しい。
この風景だなあ、と思う。
異国人の風貌と北大構内の建物、そして巨樹。
黒く曲線を描くサクシコトニ川と白い岸のゆるやかな対比。
エルムゾーンの象徴的な風景だ。
サッポロという街のこれが原風景ではないだろうか。
近代が保ったあるロマン。
その真っ白なキャンパスに、先人の夢のかけらが散りばめられ、
一枚の写真にそれが溢れている。
こうした風景が今もこの街には眠っている。
ハイビジヨンのデジタル画面のような、鮮明だが翳のない書き割りの都市
風景の奥に、ひっそりと降る雪を湛えて今も深々と森と川が潜んでいる。
そこに人が翳のように立つと、世界はなんと深い奥行きに満ちてくることだろう。
冬の白い影の世界だからこそ見える骨格のような世界もある。
樹木も川も建物も丘もその美しい骨格を露わにする。
強靭な曲線、無駄を省いた最小限・最大限の命の形。
冬は命の根を顕在化する季節だ。
命の必然に裏打ちされた曲線ほど、美しい線はない。
効率化を至上命題とする都市の線は、命の有機性が喪失している。
分別・切り捨ての直線構造には、地相の保つ結晶が消えている。
Mさんがこの一枚の写真に惹かれたのには理由がある。
左の奥に映る4階建ての白い宿舎の2階はかっての住居だったからである。
過ぎ去った長い時間が、この一枚の風景に鉱石のように結晶している。
夏も秋も冬も朝も昼も夕暮れもすべての過ぎ去った時間が、
この一枚の写真から喚起される。
何故ならこの写真には、この場の地相の保つ析出された風景が
結晶するようにしてあるからである。
その結晶する地相に引寄せられるように、このエルムゾーンの風景は
私にも波及してくるのだ。
冬の午後の曇り空。その白い翳に満ちた何百秒の一瞬。
そのたったの一枚の一瞬に、風土が保つ膨大な時間が結晶している。
真の風景とは何か・・・と、今改めて深々と思うのだ。
私たちは、私たち個々の風景を奪還しなければならぬ。
街の奥に深々と眠るその原風景を。
*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503