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テンポラリー通信

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2011年 01月 06日

顔の見える絵ー同時代の森(9)

夕方予定より大分遅れて佐々木恒雄夫妻が着く。
2年前沖縄に旅立ったチQ君も一緒である。
途中で落ち合ったらしい。
佐々木さんは昨年父上を亡くされ、その葬儀の時斎場に飾った肖像画を
ケイタイから見せてくれた。
写真ではなく、自ら画いた父上の顔だ。
いいね、と応えてもうなにかが理解できた気がする。
札幌時代の佐々木さんの絵は、都会の中の風景を構成する一部として
人物がいた。
固有の顔ではなく都市風俗の一部であった。
しかしこの父上の葬儀に飾られた顔は、描かれた線一本一本が
父への思いに貫かれている。
ひとりの男の蓄積された時間の皺が、表情を創っている。
くっきりと固有の人生と愛する父への視線が刻まれている。
網走・オホーツクの海に生きて2年、間違いもなく佐々木恒雄は
そこに生きて人間を見詰め、自分の描線を獲得しつつある。
さらに今回野上さんの展示をゆっくりと見ながら、やはり最後に目を留めた
のは手袋をふたつ重ねた鳥だった。
奥さんの愛美さんも、これ、いいねと撫でている。
日頃の労働の道具、その使い込まれた油と錆に塗れた大きな革手袋。
職場こそ違え、汗が発する現場の匂いとそこから転位する美術への磁場
を、ふたりは共感とともに感じていたに違いない。
展示を見終わってから奥の談話室で、現在芸術の森美術館で開催中の
なかがわ・つかさ展の資料を見せた。
岩内の木田金次郎との出会いから、23歳で北海道に移住して
疾風のように通り過ぎた青年の10年間を、札幌の都市化の真っ只中で
闘った記録を近代と現代の挾間と重ねて話した。
佐々木さんの現在とは逆ルートともいえる、なかがわ・つかさの人生である。
何か深く感じるものがあったのか、明日美術館に見に行くと佐々木さんが
応えた。
そして肝心の今回の個展の会期は、当初より少し遅れて2月後半から
3月にかけてと決まる。
この時の、なにかが吹っ切れたような笑顔が印象的だった。
明らかに今展示中の野上裕之展、そしてなかがわ・つかさの話が、
佐々木さんの心の何かを一歩前進させたと思うのだ。

野上さんの短くも濃い4日間の帰郷、そして個展。
その野上さんの今日のブログには<作品の実家>という言葉が綴られている。
私は今、吉増剛造さんの言った<作品の里帰り>の言葉と共に、この野上さん
の言葉もまた、心の深部に深く友情のように感じている。
それは懐旧の情から発するものではない。
今に繋がる過去の時間の転位をいうのだ。
そしてこの時問われるのは、今をどう創っているかを問う持続・継続の現在
の生き方そのものの位相である。
野上裕之展はなお、佐々木さんの個展に繋がる勇気を波及しつつ、続いていく。


*野上裕之展「鳥を放つ」ー1月16日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-01-06 13:11 | Comments(0)


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