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テンポラリー通信

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2010年 12月 01日

内包しようとする物ー夢の系譜(6)

死はそのある完結性において、羊水のように生者の夢を内包する。
それは死者の生の結晶のように、夢を抱きしめ呼吸している。
この夢の胎児には、現世の呼吸ではない呼吸がある。
あたかも胎内の水呼吸のように、夢の羊水の中に生きる。
この北の大地に生まれて、生きて、自らの命を全うした無数の魂の累積
は、時にその見えない姿を宙に浮かばせ点滅するのだ。
それは時に灯台の灯りのように、漂流する時代の荒波の向こうに瞬く。

7年前歯のデッサンで会場壁を埋めた岡部亮の個展には、今回横幅1m弱
ほどの豆の莢の彫刻が展示されている。
この作品以外は小さな豆と旧作の歯が並んでいる。
特にこの豆の莢作品が私には印象的である。
長く細い豆の莢。そこに本来内包されている筈の実の存在はない。
ただ実を包む外側の莢だけが、彫刻されている。
内包するものを喪った外皮のように、莢だけが口を開き捲れてある。
岡部亮は11年前の沖縄旅行の後、自らが産まれた札幌郊外の地
北広島市を見詰め、その地相を歯の凹凸のような丘陵地帯として、
豆本シリーズの第三巻に俯瞰する鳥の眼のように描いていた。
そこから歯のデッサンと歯の彫刻が、自らが内包する丘陵のように
身体として北広島の地形を彫刻し、故郷を造型しようとしてきた。
この彫刻の試みは、与件として在る故郷の山河を意識的な与件として
再生する試みでもある。
莢に包まれた実の、莢そのものの意識化の過程でもある。
広島県人が移住した地名、北広島市という生まれる以前の与件としてある
移住者の地名から、固有の地形として故郷そのものを奪還する試みでもある。
この細長い脆弱にさえ見える1m弱ほどの豆の莢に、この7年間の岡部亮の
彫刻家としての、生まれた地を再度意識的に生きる執念が潜んで息づい
ている。
死者は死によって夢の羊水に呼吸するが、生者はこうした作品の結晶に
よって生の基盤を創る。
すべての芸術作品には、そうした夢の莢の形象行為があるのだ。
ひとつの莢の造型は、この後如何なる実(体)を内包するのか。
そうした時間の経過が、この後始る生の時間でもあり生者の夢の
形成そのものでもあると思う。
百四十年余を経た北の大地に、内包する種子の非常にプリミテイブな
蠢く音が沈んでいる。

*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-12-01 12:52 | Comments(0)


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