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テンポラリー通信

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2010年 06月 23日

写真家集団三角展始るー木霊(こだま)する(19)

見事な展示になった。3人3様の位置がある。
1階正面は、竹本英樹さんの記憶の一瞬のような淡い断片。
左壁は、濃く過剰なる凝視、アキタヒデキさんの壁一面を覆う写真群。
2階吹き抜け回廊の壁には、静謐なモノクロームで擦り撮られた都市の
粘膜のようなメタ佐藤さんの作品。
3人の集団の意図は、

 私は蚊である。
 少数の側に立つことを求めてしまいながら、同時に人と関わりたい。
 孤高な表現を求めながら、同時に人と関わりたい。

創刊された写真誌「三角 shift・1」に載せられた言葉に集約されるだろう。
三角のそれぞれの先端は、それぞれであるまま関係性を保つ。
<孤(独)>から<個>として、如何に<非群(類)>たり得るか。
その志(こころざし)は、安直に”アート”で群れる昨今においては
希少なる硬派の姿勢といえるだろう。
三角どころかエセの円(まる)で括り上げ、地産地消などと産業経済
論理で群れて憚らない文化団体的集団より余程すっきりしている。
<私は蚊である。>と、
私という<個>を規準に宣言する位置は、ジャンルを被せて群れる姿勢
とは一線を画すものであるからだ。
しかしながら、個から発し類として関わる表現者の当然の論理を
敢えて掲げるところに、現在のアートずぶずぶの現状が透けても
見えてくる。
個として世界に撃って出るのではなく、群れて世間に交ざり混む。
そのパスポートが、”アート”という認知鑑札である。
そういう風潮に比して、この<三角>宣言は、はるかに個に徹して
世界と関わりを保とうという気概に溢れているのだ。

作品もそれぞれの個性表現が、アキタさんの過剰なる孤独、竹本さんの
淡い一瞬の浪漫性、メタ佐藤さんの都市の間隙に浮く粘膜、
のように表わされ、それぞれの孤高な日常が顕写されている。
そしてその三角の内側にどうしようもなく抱え込んで感じられるものは、
現代の貧困・孤独の在り様とでもいうべき視線であると思える。
ここには、声高らかに語られる何とかの表現とか、アートで何とかとか
いう合唱はない。
それぞれの内側から漏れてくる小さな声、うめきのようなため息のような
凝視のような、小さな内なる声のようなものである。
それぞれの眼の行き着く先の、漏れる声、微かなタッチ。
そこにしか共通の交錯する場はない。
合唱はないのである。
あるのは、呟きにも似た、わーっだったり、クスンだったり、じーっつと
だったりする。
声の発し方は違っても、その声の質は同質の同時代の音である。
その事がもし理解しあえれば、その認知の内側にこそ、
新たな同時代の三角<写場>は顕われてくるのかも知れない。

*写真家集団三角展「パラダイムシフト」-6月22日(火)-7月4日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-06-23 14:36 | Comments(0)


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