人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2010年 06月 17日

西牧浩一版画展始るー木霊(こだま)する(14)

シルクスクリーンによる光の変幻をテーマにした版画・西牧浩一展が始る。
今朝5時から展示して、朝の光を楽しみながらわくわくしたと語る。
正面に一点一見真っ黒な作品が飾られている。
一番最後に出来たと言う。
他は淡い光の変幻が、淡色を主に描かれているが、この一点だけは
どちらかというと異質である。
しかし目が慣れてくると、この単色系の作品が一番色彩を秘めている。
ふと昨日まで考えていた樹を思い出した。
地上に出ている幹・枝・梢・葉。
地下と同じ広さで広がっている根の世界。
ここは色彩も形態も目に見えるものは不可視である。
アラスカの光に感動した作者がその光を表現しようとして、最後にこの
一見単色に見える暗い作品を表現し得た事は、いわば根の世界を顕在化
した表現を獲得したという事でもある。
会場に一番最初に訪れた花屋さんは、お祝いの花を届けに来た人だったが、
西牧さんのどうぞ見てくださいという誘いに応じて、じっくりと見入ってくれる。
その人が目を留めじっと見ていたのが、この単色の版画だった。
日頃職業柄お花の豊かな色彩に触れている人が、その真逆のモノトーンの
絵画に惹かれていたのは面白かった。
ただ綺麗な花だけを売っている感性ではないものを、この人は持っていた。
それから色んな話をして帰ったが、ただ単にお花を届けにきただけではない
豊かな会話であった。
樹はその可視の部分では、光に触れて梢を広げる。
しかしその不可視の部分では、水に触れて根を張っている。
光と水。このシンプルな触れる命の形態が樹である。
自ら動き回り、走り回る事もなく、ただ垂直に光と水を繋いで立っている。
その垂直な命の広がりを、私たちは可視の緑の部分だけをただ癒しのように
見て、大地に根を張る不可視の部分を時として忘れている。
水と光。その光の方だけに命がある訳ではない。
見えない水に触れる根の世界を意識化してこそ、樹の世界を理解する事
なのだ。
光を主題に今回個展を開いた西牧さんが、展覧会の為に多くの作品を
集中的に制作し、その最後に根の世界に通じる地中の光を描いたのは
彼の作品世界の真摯で正統な結果であると、私は思う。
お花の色彩の世界を生業とする人が、この会場に一番最初に来て
この作品を評価してくれた事は、その意味で象徴的な出来事であった
と思える。
こうした出来事は、展覧会を開いた者のみが味わえる至福である。
仕事場だけで、作品は開かないのだ。
他者の眼を通して、作品は別の視角を活き活きと顕在化させ
作家自身をも撃つのだ。
今日は曇り日。
これから陽射しが燦々と溢れて、光の版画はさらなる光の洗礼を受け、
その色彩の世界を豊かに広げてくれるだろう。

*西牧浩一版画展「光景が移り変わるように」-6月17日(木)-20日(日)
 am11時ーpm7時。
*写真家集団三角展「パラダイムシフト」-6月22日(火)-7月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-06-17 13:05 | Comments(0)


<< 綿毛飛ぶー木霊(こだま)する(15)      巨樹からの手紙ー木霊(こだま)... >>