東京へ行く人、札幌に来る人。
4月に入ると人の動きがある。
文月悠光さんが、中原中也賞に続き、
九州の丸山豊記念現代詩賞も受賞との報がある。
すごいねえ、18歳の処女詩集。
今頃東京でどうしている事やら・・。
いい時に東京へ発った、そう思う。
ただ、札幌にいた時に書いた詩という事も忘れないでいて欲しい。
今、場は変わっても心の奥にさっぽろがある。
札幌の風土がある。そして石狩がある。
そのさっぽろがどう彼女の中で熟成していくか。
遠く離れて見えるものがある。
その時が本当の故郷であり、精神の母胎として原風景である。
世間という小さな地域社会を脱して、今大都会東京にいるのは、
それだけでも僥倖である。
このままもし札幌にいたなら、文化集(たか)りで滅茶苦茶よ。
快挙だなどといって、周囲にもみくちゃ。
北広島市在住の美術家のO氏が、港千尋氏とともにヴェネチェア
ビエンナーレに代表出品が決まった時、甲子園の高校野球優勝と
日本ハム日本シリーズ優勝と重なり、北海道三大快挙だなどと喜んでいた
美術人もいたようだが、こうした地域ナショナリズムの陥穽は、
かって太平洋戦争中に当時優れてモダニストと思われた人が、英国の戦艦
撃沈に諸手を上げて国の快挙だと喜ぶ姿と、あまり変わらないものがある。
当時その姿を目撃した詩人鮎川信夫は、それなりに尊敬していたこの
モダニストに対し、深い絶望と哀れみの目で回想していた。
コンテンポラリーアートを声高に論じていたはずの人が、小さな地域
ナシヨナリズムに酔って、北海道の誇りだなどと諸手を挙げる。
文月悠光さんもそうした渦に巻き込まれず、今は東京。
もっともっと広い場所で、本質的に札幌・石狩人であって下さい。
森鴎外が遺言で遺したように、「岩見の国の住人、森林太郎として死す」
そんな国=故郷をこれから本質的に位置付けて欲しいと願う。
つまりは世間と故郷は、必ずしも本質的に同一ではないという事だ。
世間という流動的な価値観の社会は、時に易々と故郷を捨てより大きな
相対性に組するものである。
また時に易々と、故郷を世界の中心であるかの如き心の鎖国・自己中心に
陥るものである。
この本質を喪失する陥穽に対し、心の軸心を鍛えて<石狩の国の住人>
と言い得る真の故郷をとエールを送る者だ。
岩見沢に生きる3人の展覧会もあと3日となる。
3日土曜日夜は、今村しずかさんのソロライブを予定している。
今年1月初のソロを披露し、それまでの3人グループから自立した
今村さんのここでは2度目のライブである。
彼女の声が響き、3人の<触れるー空・地・指>の視座空間は
さらにいかなる深みを湛えるか、今から楽しみだ。
*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
4月4日(日)まで。am11時ーpm7時。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
4月13日(火)-25日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503