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テンポラリー通信

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2010年 02月 21日

それぞれの出会いー札幌浪漫(8)

昨日はなんといっても若いふたりの優れた才能の出会いが面白かった。
現代短歌角川賞の山田航さんと
現代詩中原中也賞の文月悠光の初顔合わせ。
5時間位居ただろうか.
次々と訪れるお客さんを相手に、奥で話しこむふたりに嫌な顔ひとつせず
暖かく見守る高臣大介さんも見事だった。
少し遅れて当別の阿部ナナさんも見えて3人で話していた。
ナナさんは文月さんのフアンで、一度ゆっくり会いたいといっていた。
多分山田さんと文月さんふたりだと、会話も時間とともに途絶えがち
となっただろうから、ナナさんが来ていいタイミングだった。
なにを話しているのか、閉廊時間の午後7時頃まで3人が居た。
最後に文月さんがガラスを一点選ぶ。
高校最後の記念にするのだろうか、大ぶりのグラスを選んだ。
タイトルは「燃える男はロック」という大介らしい硬派のグラスである。
記念に文字を彫り込みましょうと、高臣さんが申し出る。
何故か顔が緩んでいる。なんと彫るのか。気になる。
彫るのを終えて、覗き込もうとするが、先ず本人にと言って、こちらには
見せない。
後で見せてもらったが、それは<泣いてもいいよ☆>だった。
辛い時などグラスをかざして、読んでね、という事だった。
文月さんは大事そうに抱えて、嬉しそうに帰っていった。

閉廊近く、写真家の竹本秀樹さんと愛娘の結音(ゆのん)ちゃんが来る。
斎藤紗貴子さんの個展以来である。
僅か4カ月程だが、もうすっかり大きくなっていた。
8歳の成長は早い。
あの時は車椅子の病を克服し初めてに近い外出でもあり、
風船に写真を吊らした斎藤さんの会場で、何度も梯子を上り下りし
その喜びを会場中に発散し、走り回っていたのだ。
その後斎藤さんが死んだと聞き、少女は泣いてくれたのである。
自らの病の回復と対照的な不意の死。
この人生上のふたつの体験は、幼い心にも大きな衝撃だっただろう。
この時芳名録に記した名前と年齢、そして”ありがとう”の言葉。
今回再び書いた名前の字は、4ヵ月前とは違いもっと大きく太い文字
となっていた。
ガラスに楽しそうに触れ、はしゃぐ女の子はもうあの時の苦しさ、
悲しみから遠く、生き生きと楽しそうだった。
会場北角隅の床にさり気なく置かれた不思議なガラスの器がある。
これは大介さんの斎藤さんへの追悼なのだ。
この一隅に斎藤紗貴子さんへの想いがあった。
この隅を印象的に使ったのは、斎藤さんだったからという。
斎藤さんの個展では、そこに沙羅双樹の花が置かれていた。
父上の命日をはさんだ会期にお父さんを追悼したコーナーだった。
今は逆に自らが追悼されていた。
生と死が交錯する時間がそこにはあった。

*高臣大介展「冬光(ふゆひかり)」-2月22日(月)まで。
 am11時ーpm7時
*宍戸優香莉展「むすんで ひらいて」-3月2日(火)-14日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-02-21 13:19 | Comments(0)


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