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テンポラリー通信

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2009年 07月 24日

小樽・後志の人ー朱夏(23)

小樽在住の詩人T氏が来る。
現在展示中の一原有徳さんの作品発表時、
そのカタログテキストを書いてくれた。
最近花崎皐平論を某誌に発表した。
詩と論理を兼ね備えた優れた詩人である。
この花崎論は、日本のインテリの死角を鋭く突いた秀論だ。
以前の吉増剛造論も、その批判軸は鋭くその周りに群がる
集(たか)り構造を詩人論として分析していた。
こういう硬派の詩人は今少なく、貴重である。
吉本隆明の正当な系譜にあって、生き方の実践も含め、その詩業がある。
彼の詩集には、彼の生きてきた場が色濃く反映されている。
後志の国の人でもある。
こうした孤独な闘いを、私は私なりに石狩の国を基底に見詰めている。
お互い<ランド(国)>の模索、試行を続けていると思うからだ。
T氏については、いつかきちっと書きたい。
それはまた、自分自身の生きている場について知ることでもある。
生きている場ーランド、その精神の土壌の保水力を高める事。
それは郷土意識と、閉じられる事ではない。
大量生産・大量消費の産業経済構造に対峙する、意識の土壌の事だ。
新→旧の現在に未来を補給として消耗する構造を断つ、
時の保水力を保つ今を、構造的に奪取する闘いの場の事だ。
未来の時間を今の補給に消費するのではなく、
今を未来に開く現在の保水力を問う為だ。
過去へとすぐブンベツ(分別)される今という時間ではなく、
過去を含めて今が豊かな時間、その場を<ランド(国)>とする事。
そこから未来へと撃つて出る足場、立つ場。
それは植物の生き方と似ている。ランド(国)は土壌である。
ふわふわと足場を喪失した大量情報の大量情報消費の土壌に、
固有のランド(国)はない。
後志(しりべし)知るべし。石狩(いしかり)知るべし。
私たちの友情もそこにある。
いつか連れて行って頂いた赤岩、龍の胎内廻りルート。
私が案内したパラト街道、奥三角幻視行。
この交流で感じた後志国と石狩国の相違こそが、開かれた友情である。
違うから開くのだ。同じ事は、同じで閉じる事だ。
大量生産・大量消費は同じ顔をして、浅く冷たく閉じているから。
そして大量消費された場は、ランド(国)を生むことなく、
ランドフイル(最終ゴミ処理場)という埋め立てをもたらす。
過去とは時間の埋め立てなのか?
埋め立てられ、捨てられ、分別(ブンベツ)されたものは、逆襲する。
人間もブンベツされ、塵灰のように処理される。
現代社会は今そうじゃないのか。


*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-07-24 13:43 | Comments(0)


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