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テンポラリー通信

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2009年 07月 17日

Oからの電話ー朱夏(16)

岡和田さんが真剣に一日中ペンキ塗りに勤しむ。
Sが差し入れに氷菓持参。
夕方休み少しうとうとしていると、電話が鳴る。
Oですという。一瞬別のOを思い浮かべた。
今年2月沖縄で知り合ったOくんだった。
8月9日の沖縄再訪の確認だった。先に行って空港で待ってますと言う。
彼は羽田から朝7時の便なので先に着くからという。
あれ、今日は休みと聞くと、いや仕事で外出中と答えた。
今年4月からH製作所に就職して新規の部門に配属され
会社の期待を担っているようだ。
そうか、エリートなんだなあ。
Oくんとは、今年2月沖縄在住の美術家豊平ヨシオさんを初めて訪ねた折、
偶然知り合った年少の友人である。
私が初めて訪れた豊平さんのアトリエには、縦1m横45cmの青一色の作品が、
高さ4mの壁に100余点ほど並んでいた。
そしてその一点一点には、深い縦の亀裂が刻まれてあった。
私が帰った後、Oくんはそこを訪れ、ただただ1時間近く立ち尽くしたと聞く。
そして、その中の一点の亀裂に触り、堪らず涙を流したという。
沖縄を深く生きる美術家のこの作品には、様々な青の一色に<哀>というしか
ない亀裂が二筋、三筋深く刻まれている。
それはもう、あの沖縄の青い空と海そのものの保つ悲しみ、
哀としかいいようがない。
その<哀>に、生まれも育ちも違うOは心深いところで触れたのだ。
優れた美術作品とは、本来そうしたものではないか。
優れて深く生きるという事は、本来そうしたものではないのか。
この作品群は、Oの心に深く閉じ、しまい込まれていた自らの<哀>と、
深く重なっていたのだ。
固有に深く生きた沖縄の美術家の哀が、対照的にエリートでもある一青年の
心を鷲掴みにしていた。
Oくん固有の<哀>と、豊平ヨシオの沖縄の<哀>が、深層で、出会っている。
この本質的な記憶が、私たちの沖縄での再会を促がしていた。
豊平さんの作品に会うきっかけをつくった私に、彼は友情として再度の沖縄
再会を心待ちにしているのだ。
Oくんは日本を代表する会社のエリートとしてあると同時に、
Oくんの心には、もうひとつの閉じた対極のようなOがいる。
世間という公的な現実と対極にある個としての内なる現実。
このふたつの相反する磁極にこそ、生活現実と芸術の保つ磁場・磁極がある。
Oと私はその磁場を同じグラウンドとして、出会っている。
2月の沖縄の記憶が8月を豊かにしてふたりは、豊平ヨシオの作品の前に再会
するのである。
Oくん、半年ぶりの再会。
豊平さん、18年ぶり2度目の再会。
8月の沖縄、心の磁場がいい時間を用意してくれてますね。

*7月19日(日)まで休廊。
*テンポラリーアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-07-17 12:32 | Comments(0)


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