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テンポラリー通信

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2009年 05月 29日

コザの市場・まおい荘の住人ー夢の中径(24)

沖縄コザに住むチQさんから電話がくる。
6月個展の打ち合わせと、向こうの状況の話。
市場の住人がいいという。しっかりと土地に根ざして生きている。
特に戦後直後生れの大人たちが、元気と言う。
戦後の修羅をくぐり抜け、生存競争を生き抜いてきた自信を感じるという。
年齢を重ねるという事は、本来そういう事だと思う。
生き生き、活き活き。生活の根を地域に張って生きている。
そんな大人が眩しいのだ。
画家はそうした人の中で、地域を見、人を感じ、札幌を同時に見ている。
生活の根の細い、経済に大きく歪曲化した日常を生活感とする生活。
それを現実とかいう二元論。その陥穽から抜けてきたなと思う。
現(うつつ)と実(お金)ふたつが一元化して、現実という字の意味がある。
両端のものが激しく反発しあい引き合うときに磁場ができる。
正×反=合である。
分離・分類して二元化し一方に偏重して磁場はない。生活もない。
二元論的な神と悪魔、美と醜、正と邪に振り分け、一方を優位性に置く。
貧と富、勝ち組み、負け組。中央、地方、新と旧。
これらは差別・区別しか生まない。線引きの間しかないからだ。
燃える磁場がない。つまりは生活がないのである。
沖縄の聖なる場、御獄(うたき)で感じた事は、生と死の共存、明と暗の同時
存在とでもいえるものだった。相反するものが強烈に磁場を創っていた。
我々は身体で本当はそんな事を知っているはずなのだ。
新陳代謝とは日々の身体の日常である。
身体の生活である。どちらかに偏重すれば、身体がおかしくなる。
食べ過ぎか下痢という事だ。
新陳と代謝の間に身体の命が保たれている。
呼気と吸気の間に命がある。それが生活である。
そこを分離し、片方を切り捨てるような生活が上等である筈がない。
しかし実際には平気でそんな行為をして、文化だ、生活だと解釈している。
この観念的操作に真の生活はない。
チQさんがコザの市場で感じているのは、そうした産業経済都市が喪失して
きた当たり前の生活であると思える。
沖縄コザからのポストカード、市場便り展来月ロックの日。
6月9日からの展示を楽しみにしている。

大木裕之さんが風のように訪れ、去っていった。
テトラハウスの一軒隣まおい荘に一ヶ月住んで、名作「オカクレ」を撮影した。
川俣正のテトラハウスプロッジェクトから20年後の事である。
大木さんの滞在したまおい荘はひまわり荘とともに今も在る。
しばし、テトラハウス326展の写真に見入る大木裕之がいた。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月31日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*酒井博史てん刻ライブー6月6日(土)・7日(日)
*チQ「沖縄からのポストカード」展ー6月9日(火)-21日(日)
*及川恒平フォークライブ「TASOGARE」-6月28日(日)午後6時半~
 入場料3000円・予約2500円
*中嶋幸治「エンヴェロープの風の鱗」展ー6月23日(火)-7月5日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-29 12:15 | Comments(0)


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