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2009年 01月 26日

移住者の孤独ーmataーpa(冬の年)(19)

移住者のふたつの位置。
immigrant-(他国からの)移住者。
emigrant-(他国への)移住者。
明治の祖父には、(他国への)移住者の位相があり、
大正生れの父には、(他国からの)移住者の孤独があった。
私は今、その双方の位置を見詰めている。
祖父の時代の、<他国へ>という広い意味での浪漫ともいえる象徴が、
三大寮歌のひとつと言われる北大の寮歌である。

 都ぞ弥生の雲紫に
 花の香漂う宴遊の莚
 尽きせぬ奢りに濃き紅や
 その春暮れては移ろう色の
 夢こそ一時青き繁みに
 燃えなん我胸想いを載せて
 星影冴かにに光れる北を
 人の世の 清き国ぞとあこがれぬ

何度もこの歌を取り上げ、ここで冒頭にある<都>とは、本州のそれであり、
弥生=3月に花の香漂う濃き紅、その春暮れて移ろう色など、石狩・札幌には
ないと書いてきた。この歌の主体は最後の2節にある。
<星影冴かに光れる北を 人の世の 清き国ぞとあこがれぬ>
北の国・他国への移住者の視座が、ここにある。
この視座は同時に政治経済の視座として、植民地化の視座でもある。
一方時代を経て<他国からの>移住者の視座は、かってよく聞かれた本州を
<内地>と呼ぶ視座である。ここに父たちの時代がある。
この両方の移住者の視座が曖昧な時代に、私たちの現在がある。
形を変えて<内地>は、本州商業ブランドとして今あると思えるが、それは風俗
的なファッション性を帯びて経済資本として街を占拠している。
従って<他国>という意識は希薄である。
この時<国>とは、祖父の時代においてその一番浪漫敵的部分でいえば、
<清き国ぞとあこがれぬ>という<国>であるだろう。
一旗組の主に経済の側からの側面も、当然明治の国家主義において保っている
訳だが、人間の浪漫の部分においてある憧れ、理想もあっただろうと思う。
その一番良質な部分において例えば近年発掘された薩摩の人村橋久成の存在等
がある。北海道にビールの始まりをつくったこの侍は、まさに北海道に夢をもって
仕事をし、明治の国家に挫折し神戸で野垂れ死にするのである。
この明治初期にあった夢と理想の志した国とは、政治経済を主とする帝国主義的
植民地化の開拓と同じ位相にはないものである。
このいわば人間的な浪漫な部分にある<国>と現実の<国家>とは、ほんの少
しだが相違する。
この時この<国>の位相の僅かな相違を敢えて言葉で分ければ、<ランド>と
いう国と<国家>という国の相違と思いたい。
私は祖父の時代にあった<他国へ>という視座にその微かな希望のようにその
影をみたいのだ。私達が今生きるこの時代において、真に場としてこの北を考え
ようとする時、他国の<他>を止揚し、自らの内部から<ランド>を創出する以外
に何も始まらないと思える。

*高臣大介ガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)ー2月8日
 (日)pm1時ーpm7時月曜定休・休廊
 初日イヴェント:あらひろこカンテレライブー午後7時半~1000円
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 
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by kakiten | 2009-01-26 14:38 | Comments(0)


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