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2009年 01月 11日

閉じていく街ーmataーpa(冬の年)(8)

自転車に乗ることがなくなり、地下鉄が増えると日々感じる事がある。
街は閉じて出口を繋ぐということだ。
街路も地下電車も行く先という出口の為にある。
円山界隈はビル群が増え、地名のもと円山が細切れの風景にある。
円山の消える円山。暗渠の川の道を歩きながら、その細い路をビル風が吹く。
目的の地点まで路はさらに心を狭め、道を狭くする。
コンビニ、巨大なショッピングビル、タワー系のマンシヨン。
その内部は暖房が効いて暖かいが、物品や住は仕切られた囲いにある。
そこを繋ぐ出口の連鎖が街である。
出口から出口へ。急ぎ足の人の靴音が響く。
人はみな閉じた内側を抱きかかえて、束の間の待機の時間を地下鉄の電車で
過ごす。待機の時間だから、正直な幼い女性は化粧に充てる。化粧しない人は
ウオークマンかアイポットか携帯をチェックし時間をやり過ごす。
それすら持たない人は、目を瞑り瞑想かほんの少しの仮眠をとるのだ。
地上に出れば、目的地までひたすら早足。
ビルに入れば、エレベーターの箱の中で目的階まで無言で早く早くと数字を見詰
めている。都市の行動とは、出口を求めて次なる出口を重ねる直線の歩行である
。都市の空に直線で聳え立つ高層ビルと同じ構造の行動なのだ。
そしてこの出口を求める直線構造に過程は消去され、閉じた密室が内包される。
エレベーターの箱や地下電車の箱、住いの箱、店の箱とパックされた密室化が
都市でもある。人の内面もその構造に影響され密室を保つ。
目の前に他者がいても無視し、あたかも存在しないかのように行動する。
地下鉄の化粧の時間、人中での携帯電話。これらの現象はこの密室構造の直な
る反映なのだ。
この密室・直線構造から文化や表現の種が生まれると私は思わない。
この構造と対峙し止揚する事からしか表現の行為は生まれないと私は思う。
現代社会の主流を為すこの構造と闘わず、同じ意識構造のまま密室サロン化を
文化の発信などという世間知に長けた擦り寄り私的空間は、断固として弾劾しな
ければならない。公的文化空間は、本来の公を喪失して、擦り寄り私的空間であ
ることをその命名が露にしている。曰く”キタラ””マナポット””かでる”等々。
駄洒落的命名のオンパレードなのだ。薄野の飲み屋クラブのおじんギヤグ紛い
の命名に、公の私的堕落が明白なのだ。
都市が山を消去し川を埋め立てるように、私たちも個の心の風景を埋め立て生き
急ぐ直線のなかにいる。それは弱い(私)を密室のように抱え込み、(公)という社会
・世間を漂うボートピープル、携帯難民の私の群に思える。
私を透徹し、<個>として再生する<類>への命革める行為こそが表現ではない
のか。

*佐々木恒雄×チQふたり展「ランド!ホップする時」-1月18日(日)まで。
 am11時ーpm7時月曜定休・休廊。
*及川恒平ソロライブ「冬の鏡」-1月12日(月)午後3時~
 入場料3000円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-11 13:04 | Comments(0)


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