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2012年 02月 03日
先月8日ここで行なわれた及川恒平さんのライブ「冬の鏡」。 そのライブ録音盤CDが送られて来た。 <お怪我の回復気になりますが・・。>と、お見舞いの文章が 添えられていた。 早速聞いてみる。 最初の「地下書店」そして「冬のロボット」と、哀愁を帯びた透明な 声が廊内を満たす。 一瞬あの日の寒気と夕暮れの青い空気を思い出す。 語りは少なく淡々と歌を繋いで、一気に数曲を唄い継いでいったのだ。 自らの唄う原点を確認するかのように、聴衆におもねることなく歌曲を 見詰めている、そんな姿勢が特に印象的なライブだった。 久し振りに聞きに来たMさんは、今までで一番良かったと、後で呟くよう に語ってくれたのだ。 今までもう何十回もここで及川恒平のライブがあったが、CDに録音され たのは最初の2005年3月と二度目の6月以来3度目である。 及川さん自身、今年初のこのライブが気に入っていたのかも知れない。 録音には歌人山田航さんの朗読も記録されている。 都心から離れたこの方形の街に珍しい斜め通りの片隅の小さなギヤラリー に、片腕痛めた黒帽子の男がひとり居る。 その姿はまるでモグロフクゾーのようで、時々”ド~ン!”と指を振り下ろし たりして、遊んでいる。 廊内には白い光が上からも下からも射し込んで、静謐である。 多分空間は、今この時にしかない美しさに満ちている。 寒気は鋭いが、この白い光は他の季節にはない独特の時間だ。 北の国に生きる多くの人たちが、ここ特有の美しさを見詰めず、囲い込まれ たビル内の囲繞空間の電気照明だけの光の中に作品を置いて、満足して いる。 同じ方向からのいつも同じ増幅した光に満足している。 光にも有機的な陰影のある事を忘れている。 冬には冬の光があり、夏には夏の光がある。 そしてそれは季節だけではなく、一日の午前午後夕暮れと同じ光は 二度とないのだ。 遠く離れてこの光を感じる人たちがいる。 それが及川さんであり、吉増さんでもあるのだろう。 来週から九州・福岡の阿部守さんが来る。 彼もまた年に一度ここを訪れる遠くの人である。 なにかに苛立つようにして、ふとまた指を振り上げ”・・にド~ン!”と モグロフクゾーが顔を出す。 ”フヤケタ光の増幅脂肪空間に、ド~ン!” *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)「野傍の泉」展ー2月14日(火)ー19日(日) am11時ーpm7時。 *同上清華亭外庭展ー2月13日(月)-26日(日)am9時ーpm4時。 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 02月 02日
2月1日、相次いでふたりのYから便りがある。 先に届いたのは、昨年末一緒にエルムゾーンを歩いた東京の 吉原洋一さんからの手紙だ。 昨年12月18日ここを初めて訪問した時の印象と翌日吉増剛造さん たちとともに歩いたエルムゾーンの印象を書き記した一文だった。 テンポラリーを探し、入り、吉増展を見た印象が瑞々しく揺れるような 文章で書かれていた。 ・・・それにしても、道がまっすぐで、曲がり角が直角な街だ、おかげで 迷うことはないのだけれど、歩いていてわくわくはしない、しなかった、 そうして、ギヤラリーを見つける、なんとなく隅っこに、なにかの縁に そっと存在しているような一軒家の空間、入口は狭いのに、入ると包ま れている感覚になる、見上げると、天井が高い、天井が高いというのは 正確ではなくて、二階の天井まで吹き抜けになっている、・・・登るとまた 視界が変わる、・・二階はぐるりと人がひとり歩けるくらいのスペースが あるだけ、あるだけなのに、恐さ、はなく、むしろ気持は落ち着いて、 おだやかにいることができる、・・・吹き抜けには、二階から一階に流れ 落ちるようにして、銅板が飾られている、一階と二階をつないでいるの かもしれない、もしかしたら、一階から二階に向かって、舞い上がろう としているのかもしれない、とにかく、一枚の銅板が、空間をまたいで 存在していて、その流れを包むように、一階の壁にも銅板がぐるりと一 周飾られ、二階には石狩シーツの原稿が順番に展示されている、いま ぼくがいる場所には、異なる二本の時間軸が流れながら、同時に、それ ら二本の時間軸を縦断する流れ、時間軸ではない、異なる二本の時間 軸をこの空間につなぎとめておくための、くい、のような縦軸がある、 息を継ぎ足すように見て感じて揺れる感性のまま、こうした切れ目の定かで ない文章が続く。引用が長くなるのは、その所為である。 さらに会場に流れている石狩シーツの朗読と銅板の展示の融合が語られる。 石狩シーツの言葉が、声が、ギヤラリーに堆積してゆく、だんだんと、銅板 との境目があいまいになってくるように感じる、僕が銅板を撮っているのか ここにあらわれてきているごーじと向き合っているのか、わからなくなる、 むしろ、銅板を撮ることと石狩シーツから流れてくる言葉や声を撮ることは 同じことなのかもしれない、・・ 翌日のエルムゾーンの旅、最後の遺跡公園の行程で、彼は吉増さんを見詰め、 小さな発見を語っている。先に立って案内し歩いていた私には初めて知る瞬間だ。 ・・・ふと、ひとりの人がさっきまで歩いていた空間を振り返る、なんともいえない 場の力を感じる、ちょうど太陽が沈もうとしてしている光景にかさなったからかも しれない、それでもなにか不思議な強い力を感じて、足を止めてしまう、少し離れ たところにいるごーじは、じっと見つめている、やがてカバンからGRを取り出して 身を乗り出すようにしながら何枚かシャッターを切る、切っていた、 ・・・いま目の前の光景を見ながら、目の前の光景でないものを見ようとしている、 その先にあるものまでをつかもうとして見ている、そんな瞬間だった気がして、 ぼくは忘れることができない、・・・ この手紙を読み終えた時もうひとりのY、吉増さんからfaxが入ったのだ。 たったいま入手いたしました日程です。 その内容はA新聞社の企画で、石狩河口に撮影・詩創作の為訪れる日程の 連絡であった。 吉原さんの捉えた吉増剛造(ごーじ)の遠くを見つめた瞬間は予言のように、 この石狩河口ふたたびの訪問を示唆していたのである。 ふたりのYからの手紙とファックスは、凍結した一月の空気を裂いて、如月二月へ 鉄橋のようにキラキラした石狩の海へ架橋してくれたように感じさせてくれた。 二月エルムゾーンで始る鉄とガラスの「野傍の泉」展と呼応するかのような吉増 剛造の石狩河口撮影行。 凍てついた空気が、非常に有機的な柔らかな風景として甦ってくる。 見えない川が今、音を立てて流れているかのようだ。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)「野傍の泉」展ー2月14日(火)-19日(日) am11時ーpm7時。 *同上清華亭外庭展ー2月13日(月)-26日(日)am9時ーpm4時。 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 02月 01日
断裂し固定化した辛い1月を超えて、如月の2月が来た。 マイナス10度の朝は、トイレの水道管が凍り排水が出来ない。 お湯を温め何度も管に流している。 九州・福岡の阿部守さんの滞在日程の連絡がある。 6日来道洞爺の高臣さんの工房へ。そこで鉄とガラスの共作作業。 8日テンポラリー到着。9日清華亭設置作業。10、11日オホーツク 行き。12、13日テンポラリー展示。14日初日オープニング。 15日離札。かなり濃密な日程である。 ドイツ・ベルリン在住の谷口顕一郎さんより便りある。 オランダ司法省に設置した作品無事展示完了との事。 ドキュメントの作成にかかっていて、完成次第送ると書かれていた。 彼の親友斎藤玄輔さんの個展が3月下旬予定と伝えたら、とても 喜んでいた。斎藤さん曰く、死ぬ気でやる、と。 さらにその前に春ヨーロッパで展示をするSさんの滞在制作の予定も 伝えた。Sさんは谷口さんの後輩であり、このふたりの札幌での動きは、 遠い欧州の空と極東の北の空が熱い友情で繋がるように感じられる。 人の身体の関節が有機的に連係しているように、人間の心にも精神的 関節のようなものが存在する。 九州とかドイツとか目に見える境界は存在するのだけれど、人にはその 境界で分断されない心の関節がある。 それをきっと人は、友情とか志とかいう言葉で表している。 手と腕を繋ぐ骨・関節のような、ふたつの世界を繋ぐもうひとつの 柔らかで確かな存在。 この異なる界(さかい)を繋ぐ柔らかな世界を、私たちはほんとうに大切に しなければならない。 これは1月の骨折事故の偽らざる実感である。 ふっ、・・。 骨折り損のくたびれ儲け・・・。 否、骨身を惜しまず・・か。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)「野傍の泉(ヌプサムメム)」展 2月14日(火)-19日(日)am11時ーpm7時。 *同上清華亭外庭展ー2月13日(月)-26日(日) am9時ーpm4時。 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 31日
「流氷と黒曜石」という言葉を対のように思い浮かべていたら、 現実には「凍結とギブス」という言葉が浮かんだ。 同じように固まっても開くものと閉じるものの違いがある。 開かれる思念と閉塞する日常。 この両者のせめぎ合いが、人生だ。 先日写真家の藤倉翼さんが、撮影した吉増剛造展の写真データを 届けてくれる。 接写した捲れるような銅板の、波打つ表面が美しい。 一昨年夏石狩河口を一緒に歩いた経験が、どこかでこの吉増剛造 「石狩河口/座ル ふたたび」展のトニカと響き合っている。 写真の視点・切り口の角度を見ていると、そんな気がする。 河口というのは、不思議な界(さかい)の空間である。 ふたつの世界の挾間(はざま)なのだ。 そこで接する異なったふたつの世界は、固定化する事なく開いて共存 する。ギブスや水道管凍結の日常とは違う。 藤倉さんの視点は、一昨年多分何気なく撮った一枚の河口の写真から ある転位を見せている。 それは界(さかい)を写し撮る視座と思えるものだ。 ある10代後半の若い女性を連続して撮り続けている仕事にもそれが 表れている。 高校生から女子大生へ、そして札幌から東京へ。 そんな年齢と環境の変化を同じひとりの女性を撮り続けて、その変化を 見詰める目線は、人間の精神の界(さかい)を写し取っている事でもある。 その変化の界(さかい)は、固化することはなく魅力的である。 昨日やっと最初のギブスが外された。 新たにもう少し軽い指の自由なギブスになる。 手首の骨が大分固定してきたという。 2週間後に再検査がある。 こちらの固定は手首の連携を繋ぐ固定である。 手首のグリップの柔軟さが如何に指先・手先の自由を確保しているか、 有機的な身体の相互関係性は実に精妙である。 腕と手首と指、そして右手と左手。さらには右半身・左半身。 これらはみな相互に関係し合い、分別・分断されない。 界(さかい)という挾間が開かれ、関節として連係し合っているからだ。 手首ひとつもまた、偉大なる界(さかい)の世界を保っている。 有機的な身体の固化は、ギブスの固定化とは違う開かれた固化である。 それは骨が保つ、美しい柔軟性というものだ。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展「野傍の泉(ヌプサムメム)」ー2月14日(火) ー19日(日)am11時ーpm7時。 *同上清華亭外庭展ー2月13日(月)-26日(日)am9時ーpm4時。 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 29日
相変わらず朝の水道凍結が続く。 少し知恵が付いて、前日電気ポットに水を入れておく事にした。 翌朝それを沸かしてポットのお湯を蛇口と水道管に注ぐのである。 これで大分解凍の時間が短縮された。 灯油ストーブで部屋の温度が上がるのを待つよりは、早い。 このところ病院行き等で休む日が続き、気温の低い日も続く。 一日空けると無人の建物は一層冷え込む。 水道管凍結、左手首ギブス。 なにやら建物も体も固まってばかりである。 九州の阿部守さんより電話が来る。 来月初旬来札予定。 フライヤーの出来を楽しみにしている様子だ。 そして清華亭展示前後にオホーツクの流氷を見に行きたいという。 網走の佐々木恒雄さんを紹介した。 流氷だけではなく、佐々木さんの人と作品も阿部さんには見て欲しい と思ったからだ。 網走の漁師画家佐々木恒雄の九州への足がかりとなると思える。 北の端から南の端へ彼の作品なら充分通用する力がある。 また逆に遠く離れた場所でこそ、その価値が見えるものもある。 さらに出来るならオホーツクの青い海の流氷は、ガラス作家の高臣さん にも見て欲しいと思う。 流氷は自然の透明な結晶である。 溶岩の力が生んだ黒曜石の透明さに感動した高臣さんなら、流氷の 水の結晶が生む透明感にも感動がある筈と思うからだ。 鉄とガラスのふたりの作家が、期せずして水と火の力によって自然が 創った透明なふたつの固体に出会うとすれば、それはとても良い体験 となるに違いない。 鉄もガラスも火と水の力によって、最終的に固まって作品となる。 その原点のような経験を、黒曜石と流氷は見せてくれるに違いない。 泉は地中から透明な水を湧き出し、溶岩は地中から透明な黒曜石を 造りだす。 それらは冷えて固まると、透明な氷と石になる。 凍結もまたここでは自然の美である。 火も水も鉄の作家とガラスの作家にとっては、大きな自然の匠の力である。 それは今回のヌプサムメム(野傍の泉池)=清華亭庭一帯を表意するアイヌ 語地名を主題とするふたり展の基底に繋がるラデイカルな旅となると思える。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展「野傍の泉池(ヌプサムメム)」 -2月14日(火)-19日(日)AM11時ーPM7時 *同上清華亭外庭展ー2月13日(月)-26日(日) am9時ーpm4時 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 27日
岩見沢教育大2年の瀬戸くんがワインを一本持って来た。 豪雪の続く岩見沢。そこで暇を持て余した訳でもないだろうが、休講で 札幌に出て来たという。 何も言わなかったが、私の手首骨折のお見舞いだったのかも知れない。 昨日書いたブログの阿部守×高臣大介展の案内状の話をすると、瀬戸 くんの目が輝いてムラギシさんの個展のタイトルを口にした。 「木は水を運んでいる」ですね、と言う。 瀬戸くんがここに来るようになったのは、このムラギシの追悼集を高校 時代に釧路で読んだ事が切っ掛けだった。 そうか、ここでもムラギシが出てきたなあ、と思った。 1996年の阿部守展と高臣大介展のちょうど間に位置して、しかもその時 のムラギシ展のタイトルが今度の湧泉とエルムの木を主題とするふたり展 と交響する事にあらためて気付かされたのだ。 その後瀬戸くんの持って来たワインを開けて、そっと棚に飾ってあるムラギ シの遺影にもふたりでワインを捧げたのだ。 山田航さんや有山睦さんもそうだが、瀬戸くんも生前のムラギシに会って はいない。 彼らはみな死後出版された遺作集を通してムラギシに親愛の情を抱き、 この場と繋がったのだ。 ある意味では彼らの方が生前の知遇より、より純粋に深い処でムラギシと繋が っているのかも知れない。 村岸宏昭の「木は水を運んでいる」という最後の個展が、清華亭を会場とする 緑の運河エルムゾーンの泉と森の記憶を主題とした阿部守×高臣大介展の トニカのように背後に流れているような気がしてならないのだった。 そう気付かせてくれたこの日の若い友人の瀬戸くんの訪問に感謝するのだ。 今朝ファックスが吉増剛造さんより届く。 某大新聞社の依頼で石狩河口に一日滞在が決まったと言う。 そこで新たな詩の創作を試みるという。 先月の吉増剛造「石狩河口/座ル ふたたび」展では、実現出来なかった石狩 河口行きが、こうして本当に17年ぶりに実現する事となった。 昨年暮に発火したこの火種は、今も確実に燃えさかっている。 さらに北海道立近代美術館からの告知が届き、友人の花田和治さんの個展が 来月から始るという。 佐佐木方斎さんとともに、ここテンポラリーの再建期を支えてくれた友人である。 早速お祝いの電話をする。 最近は体調を壊し会う事が少なかったが、こうして優れた作家の今までの仕事 が公的に再発見される事はとても嬉しい事だ。 そしてちょうど私が骨折した翌日で見落としていた新聞記事を、有山睦さんが先日 持参してくれた。その記事はベルリン在住の谷口顕一郎さんが、世界の若手美術 家百人のひとりにドイツの美術雑誌で選ばれたという内容だった。 今年に入って種々落ち込むような事も多かったが、こうして新旧の友人たちの 活躍と友情が大いなる励ましとなって今の自分を支えてくれる。 このところの連日の水道凍結・怪我の片手不自由などに落ち込んではいられない。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展ー2月14日(火)-19日(日) am11時ーpm7時 *同上清華亭外庭展「野傍の泉」-2月13日(月)ー26日(日)予定。 am9時ーpm4時。 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 26日
活字印刷の酒井博史さんと次回阿部守×高臣大介展の案内状の 打ち合わせをする。 色々な発想が浮かび楽しかった。 清華亭の建つ場所の地形を表すアイヌ語地名、野傍の泉池をアイヌ 語表記カタカナと日本語訳表記をふたりに書いてもらい、その真中に泉 あるいは水のてん刻文字を配する。 このてん刻は酒井さんが彫り込み、左右の文章と一体で少し離れて 見ると、水という字にも見える趣向である。 さらにその中央横一文字にアルファベットでアイヌ語の表記が浮き文字 で印刷される。 そんな文字だけで構成された案内状の案である。 今回の見えない泉と森を主題とするふたり展に相応しいフライヤーと思える。 活字印刷そのものが、紙に凹みを印字し創られるものだから、泉の美しい 窪みを再生するコンセプトに正に合致しているのだ。 凸版印刷の様々な技法を駆使して、気持ちの良いフライヤーが出来上がる と思う。話している内に職人酒井博史の魂に火が点いたのか、目がキラキラ と輝いてきた。 この酒井さんのお店の4代にわたる苦労話が、今発売中のKAIという雑誌に 酒井さんの母上の話として特集されている。 活字印刷の最盛期から衰退期、そして6年前に死んだムラギシさんの最後と なった個展のDMは活字印刷で案内状を作り、その依頼が現在の活字の魅力 再発見の切っ掛けになった事などが記されている。 当時大学4年生だったムラギシヒロアキさんの若い優れた感性が、埋もれか けていた活字の印刷技術を甦らせたのである。 ムラギシの最後の個展は同時に、ここテンポラリースペースの再生の大事な 第一歩でもあったのだから、酒井ームラギシーテンポラリーは不思議な縁で 深く結ばれていた気持がしている。 因みにムラギシ展の一回前は高臣大介展であり、さらにその一回後は阿部守 展であったのだ。1996年の7月のムラギシ展の前後5月と9月の事である。 このふたりのフライヤーの作成の熱い語らいから、もう阿部守×高臣大介展は 始っている。 きっと、前回の吉増剛造展DMの出来上がりに負けぬ美しい案内状が出来上が るに相違ない。 乞う、ご期待である。 *阿部守(鉄)×高見大介(ガラス)展-2月14日(火)-19日(日) *阿部守×高臣大介展「野傍の泉」清華亭外庭ー2月13日ー26日 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 24日
水が湧く場所を主題に、ガラスと鉄の作家がタイトルも含めて 頭を抱えているようである。 水が湧くという事は単純なようで、人間にはおいそれとは実現できない 自然の凄業である。 例えばある瞬間インスピレーシヨンが浮かぶ。 この脳中の一瞬の霊感のように、湧き水もまたあると思える。 さまざまな多くの思考の蓄積の中で、ある一点に湧き上がるものがある。 それが霊感だとすれば、そんな風に地中から一点湧きあがってくるもの が、湧泉の場所と思える。 これは人間には成し得ない自然の妙なる場処と思える。 その妙なる場から生まれた清らかな水を命の糧として生命の源は形成 されるのだ。 そんな稀有な美しい場所の源を断つようにして我々の社会環境は時に 成立構成されている。 人間だけの生命をこの泉池は育てている訳ではない。 植物も他の多くの生物もこの湧き水によって支えられている。 メムとアイヌ語で呼ばれたこの泉池の連なりに、エルムの森が繁り札幌の 大地が広がっていた。 しかしこのゾーンはその水源を断たれ、今は暗い窪地のように忘れ去られた 裏通りとして存在している。 透明なガラスと土のように暖かな鉄の造形作家ふたりが、その泉を鎮魂し 祈りをこめて脳中の湧き水のように、霊感を高めて作品を創る。 ふたりの作品自体が見えない湧き水そのもののように、あるリアリテイーを保つ 事が出来得たならば、会場の清華亭外庭は一瞬にせよ本来のこの場に沈んだ 夢を再生する事ができるだろう。 そして湧く水はかってそうであったようにそこに止まる事無く流れて岸辺を作り、 もうひとつの会場のテンポラリースペースの見えない岸辺にも触れて流れて行く のだ。 人間が決して為し得ない湧き水への敬虔な想いを、人間が為し得る霊感の 創造的仕事において、かって在ったであろう湧泉と森の記憶に捧げたく思う のである。 九州の阿部守さん、洞爺の高臣大介さん。 ふたりのエンジンが次第に高まりつつある便りが今朝来る。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展ー2月上旬~。 場所:清華亭外庭×テンポラリースペース。 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 22日
身体に損傷があると、世界は身体の範囲に密着する。 非常に身体的な日常に世界は縛られる。 たった一本の手首にも世界は重い。 来月から始る鉄の作家阿部守×ガラス作家高臣大介展への清華亭庭 での展示、そしてここでのふたり展への深い回路が途絶えていた。 南西部の山稜地帯から伏流水となり湧き上がったメム(泉池)。 そのメムの森・植物園と伊藤邸と清華亭。 その緑の運河エルムゾーンの再生と鎮魂をテーマに雪の庭とここの 空間にふたりの造形が形象されるのだ。 清華亭の周りの喪われた泉。そしてそのメム(泉池)に添うように今も立つ エルムの巨樹。 雪に覆われた近代の洋館と森と泉の記憶の庭に透明なガラスと土を思わせる 鉄の造形が札幌の正統な近代風土をリパブリックする。 それは自然の地形とトニカ(基奏低音)を共有していた時代への現在への奪取の 試みでもあるのだ。 喪失したものを懐古するのではない。 喪失したものを賛美するものでもない。 天に地に直線化し巨大化する都市へのアンチテーゼとして、有機的な 生命のトニカを一本の巨樹と泉の記憶に添って形象化する試みなのだ。 高層ビル群と物流の直線路の挾間に窪地のように存する清華亭と偕楽園跡地。 そこは本来豊かな泉池と森と川の地であり、同時に北東への石狩の海へと繋が る宝石のように結晶するゾーンであった。 そこに明治の初期美しい洋館が建てられ、ある時期そこは花屋敷と呼ばれたという。 湧く水の傍には鮭が押し寄せ、鮭の孵化場ともなっていた。 その美しい窪みは今は涸れ果て、洋館と一本のエルムの巨樹のみが遺されて いるだけだ。 周囲に立ち並ぶ高層ビル群が泉池の源を断ち、さらには高速鉄道の高架線が 風景を東西に断ち切って、さらに直線的にその窪みを狭めているのである。 自然な美しい窪みは、そこではもうただの暗い凹み、陰気な裏通りでしかない。 かってその美しい窪みに湧く湧き水を信仰して建立されたと思われる井頭龍神の祠も、 ただの小さな小汚い小屋にしか見えなく存在している。 そしてこの清華亭・偕楽園跡地に隣接する伊藤邸1万4千㎡には昨年来高層ビル化の 話が進んでいる。 さらに植物園ー北大構内と繋がる札幌緑の運河エルムゾーンは断ち切られる 危機にあるのである。 僅かふたりの鉄とガラスの作家作品が、何かをなし得るとは思えないが、 僅かでもあれその原理原則は、こうした直線化する都市の物流的暴力に 対峙し、生命の有機的な魂を表現として対置したく思うのである。 その緑の運河の流れの中にもうひとつのこの場所もまた位置して、清華亭一ヶ所に 閉じる事無く声を呼応していきたく思うのだ。 たった一本だけ残った あの遠い森と泉の手首のような エルムの巨樹へのエールの為にも。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展ー2月初旬~。 清華亭×テンポラリースペース テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 2012年 01月 21日
右腕一本の不自由な日が続く。 自宅から出て地下鉄に乗り、テンポラリーへ辿り着く。 相変わらず水は凍結して、出水に時間が懸かる。 さらにシャッターも引っかかって片手では上がらない。 裏の入口から入る。 メールとかをチェックしパソコンに向かう。 来週からまた寒波到来という。 雪かきとかいう非常に日常的な事が、思いやられて憂鬱になる。 手首ひとつの日常よ。 パソコンも片手打ちである。 ハミガキブログも本当のハミガキ同様苦労する。 片手落ちとはこの事である。 *阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展ー2月初旬 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向 tel/fax011-737-5503 |
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